大沼の歴史  〜小山用水と大沼〜


小山用水について


小山用水の位置する思川東部地域は、古来から一定の水源がなく大部分は雨水に依存し、また、各所よりの湧水や溜池を利用していましたが、徳川末期頃より開墾が盛んとなり、人口の増加とともに湧水は減少し、溜池は土砂流入により荒廃し、連年干害を受けるようになりました。
このため、用水確保に対する農民の熱意は強く、明治15年頃より思川からの揚水、あるいは姿川からの引水など調査計画が繰り返されましたが実現には至りませんでした。

大正時代になって耕地整理事業が普及し、小山用水においても用水確保のために同事業を導入しました。水源には国分寺町箕輪にある箕輪大堰及び小金井用水を利用、水路拡巾及び延長しての導水を計画、下流の水利権者と交渉を行い、多くの障害にあいながらも大正7年9月8日に「
小山町外3ヶ村耕地整理組合」の設立が許可されました。旧小山町、国分寺村、桑村、大谷村にまたがる面積1,080町を5区域に分けて大正8年1月20日起工、水源地より小山市に至る幹線用水路と貯水池(大沼)掘削・改修に着手し、昼夜兼行で工事を行い、同年5月18日に多年の宿願を果たして通水にこぎつけ、干ばつから免れることができました。

その後、間々田村・野木村が加わり、大正9年1月22日に「
小山町外5ヶ村耕地整理組合」として組織変更に許可され、総面積2,280ha余、組合員3,823人を有する県下有数の組合となりました。幹線工事も野木村まで延長し、同年4月30日完了、本地域は非常に広大で、地勢、人情を異にするため事業の公正な推進を図るうえで、21区域に分けて施行し昭和3年8月に全工事を完了しました。
しかしながら、非常に広大な面積であるため、姿川の用水が全区域に及ぶのに長い時日を要し、唯一の水源に依存することが危惧されました。

大正13、14年には未曾有の大干ばつにあい、補給水源を必要とする声が起り、同14年6月に地区の最下流部野木町松原地先に揚水機場を設置し、なお同15年6月に小山市喜沢地先に揚水機場を設置し好結果を得ました。

昭和7年から同10年3月まで第1次県営事業として、小山町外5ヶ村用水幹線改良事業を導入し、箕輪大堰及び幹線水路の局部改良を行いました。また、喜沢揚水機場は思川流身の変化に伴い取水が困難となったため、取入口を上流に移し、随道を掘削し、導水路を開削して機場へ導き、同時に動力を重油発動機に切替えて揚水量を増し、干ばつを防ぐとともに維持管理の便を図りました。

その後上流部の開田が進むにつれて姿川の水量が減少し、羽川地内にある
大沼の効率も低下したため、第2、第3次県営事業として同19年3月まで桑村大沼溜用水改良事業により土手をかさ上げするとともに、用水幹線からの導水路を改良し、貯水能力を高めました。更に昭和21年5月に第2揚水機場を間々田地先に完成させ、喜沢揚水機場、松原揚水機場も動力をモーターに替えるなど用水の確保に成功し、食糧増産に寄与することができました。
歴 史 年 表
明治15年〜明治末 用水路を作る計画が出るが実現できず
大正 5年 干ばつにより被害を受け、再び用水の計画をする
大正 7年 9月 8日 国分寺村にあった小金井用水の使用契約が結ばれる
大正 7年12月19日 「小山町外3ヶ村耕地整理組合」の設立が認可される
(小山町・国分寺村・桑村・大谷村)
大正 8年 1月20日
      〜5月18日
用水路掘削に着手
同年5月に工事完了。通水が始まる
大正 9年 1月22日 間々田村・野木村が加わり、「小山町外5ヶ村耕地整理組合」と名称を改める
(小山町・国分寺村・桑村・大谷村・間々田村・野木村)
大正 9年 4月30日 幹線水路の延長工事が終了
これにより水路が野木村まで達する
大正13年〜14年 大干ばつにあう
大正14年 6月 野木村松原に揚水機場が完成
大正15年 6月 小山町喜沢に揚水機場が完成
昭和 3年 8月 大正より始まった水路工事がすべて完了
昭和 7年〜10年 第1次県営事業
箕輪大堰及び幹線水路の局部改良と喜沢機場の改良を行う
昭和 8年〜15年 第2次県営事業
大沼の改修と道水路を設置
昭和18年〜19年 第3次県営事業
大沼改修
昭和21年 5月 間々田町に揚水機場完成
昭和27年 6月 2日 「小山町外1町4ヶ村土地改良区」に名称変更
(小山町・間々田町・国分寺村・桑村・大谷村・野木村)
昭和30年〜45年 第4次県営事業
喜沢機場増築、道水路・用水路の過半を改修
昭和31年 4月14日 「小山市外2町2ヶ村土地改良区」に名称変更
(小山市・間々田町・国分寺町・桑絹村・野木村)
昭和40年 3月12日 「小山用水土地改良区」に名称変更

昭和27年6月2日に「
小山町外1町4ヶ村土地改良区」として組織変更認可されました。
戦中戦後にかけては、開発と乱伐のため両河川の水量は激減し、用水路は殆どが土水路であったため、崩壊による通水能力の低下と漏水が激しく、更に土壌改良に伴う必要水量の増加と相まって用水不足の抜本的解決が必要となりました。このため、昭和28年に第4次県営事業として調査を開始、同30年から同45年3月まで小山市外2町2ヶ村用水改良事業を導入し、喜沢地内に集水暗渠を新設、揚水機場を増築し、導水路、用水幹支線等の過半を改修し、15年余にわたる事業もようやく完成の運びとなりました。

松原揚水機の更新や友沼揚水機場の新設等、県単あるいは団体営事業により用排水改良を行うなど、80有余年に及ぶ水との戦いにより施設も充実し、1,400ヘクタール、3,300人余の農民は、今新しい農業・農村の創造へ進もうとしています。

この間、小山市の誕生により昭和31年4月14日に「
小山市外2町2ヶ村土地改良区」と改称し、その後、昭和40年3月12日に「小山用水土地改良区」として名称変更認可され、ここに名実共に「小山用水」の統一が実現し、現在に至っています。





大沼について

大沼溜は大正以前より存在し「
イモガラ溜」と称し、周辺にあった大小溜池とともに用水補給に利用されていました。
大正7年の耕地整理事業により大正8年1月20日起工、水源地より小山町に至る幹線用水路とため池の掘削・改修により改修され、同年5月18日に通水にこぎつけました。
昭和に入り、国分寺地域の開田が進むにつれて姿川の水量が減少し、羽川大沼ため池の効率も低下したため、県営事業として昭和19年3月まで
羽川大沼ため池用水改良事業(第2次、3次県営事業)を導入、土手をかさ上げするとともに、用水幹線から導水路を改良し、貯水能力を高めることができました。
その後、部分的な改修を加えながら機能を維持してきたものの、老朽化による漏水等を一体的に改修するのため、平成6年に県営水環境整備事業を導入、農業用ため池としての貯水機能だけでなく、住民の憩いの場・安らぎの場として親水公園的な機能も併せて整備し、平成14年3月に完了しました。また、平成11年から地域用水機能増進事業を導入、石積み水路の整備等や「大沼に親しむ会」の支援を行い、現在に至っています。



昔の大沼


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